先日「この星が花でいっぱいになる」という言葉が降ってきました。
今日はこのお話を書いてみたいと思います。
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コノハナサクヤヒメ
静岡県の方なら知っている方も多いと思いますが、富士山の噴火を鎮めるためお祀りされているコノハナノサクヤヒメは水の女神さまのことです。
アマテラスオオミカミの孫、つまり天孫と呼ばれるニニギノミコトが地上に降り立ったとき、コノハナサクヤヒメと出逢いその美しさに惹かれて求婚します。
コノハナサクヤヒメの父オオヤマツミはそれを喜びますが、なぜか姉のイワナガヒメと共に嫁がせました。
ニニギはイワナガヒメの醜さを嫌い、姉だけをオオヤマツミの元へ送り返してしまいます。
オオヤマツミはそれを怒り、その結果、天孫の子孫である私たち人間は花のように寿命が短くなってしまった・・・
コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの姉妹は、一般にはこんな風に解釈されています。
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あるとき、こんなお話を聞きました。
イワナガヒメとコノハナサクヤヒメは表裏一体。実は地球のことなのだ、と。
天孫であるニニギノミコトと、地(球)が結ばれることがこの結婚が意味することだったんです。
地球の内部は岩でできています。これがイワナガヒメ。
それに対して地表は緑と水に覆われ、花が咲き鳥が歌います。これがコノハナサクヤヒメ。
イワナガヒメは姉です。つまり岩が先で、花はその後に生まれるのですよね。
イワナガヒメは醜いのではないんです。地表からは「見えにくい」→「見にくい」ということなのだって。

それでは岩ってなんでしょうか。
私はこれを「意和」「異和」だと読みときました。
そもそも地球が意味するものは地(じ)の球(魂)。自分自身の魂のことなんじゃないかって感じたんです。
私たちは「こうあるべき」「これは許されない」「これは良い」「これは悪い」という二元論の世界で生きています。
これは「醜いと感じるものを排除する生き方」「ありのままの自分を許せない、受け入れていない状態」だと思うんですね。
ニニギノミコトがコノハナサクヤヒメだけを選んだことと同じです。
オオヤマツミがそれを怒ったというのは、魂の中には陰も陽もないんだ。全て同じ愛(I=私)なのだという意味。
異(ことなるもの)を和(調和)する。どちらも愛から生まれているという事実を受け入れること。
それによって私たちは本当の輝きを放つようになる。
その輝きの象徴がコノハナサクヤヒメなんじゃないかなぁ?
富士山のもとの表記は「不二」だったと言います。
ここからも「二つではない」つまり「全ては一つ」という事をあらわしているのではないでしょうか。
「全てはひとつ」がこの日本という国の象徴なのですよね・・・

この神話には、そんな想いが込められているんじゃないかなぁって私は思うんです。
ありのままの私(I)を全て受け入れることで、この地上は花でいっぱいになる。
それこそが本当の天地が結ばれることなんだって。
天地が結ばれるというのは自分自身の魂が、神と結ばれること。
神は外の世界にあるのではなく、自分自身の中に既にあるということを思い出すこと。
排除すべき闇があるのではなく、「調和」というプロセスを経験したいがために用意された舞台がこの地球という星。
私たちはその舞台で魂の結び・・・私たちは既に1人1人が神であり愛だったということを思い出すゲームをしに天から降りてきた天子。

それに氣がついた人たちが今、次々に現れている。
だからこの星が花でいっぱいになるんだって思ったんです。
陰と陽の調和。見にくいものの中にこそ、私たちの花開く力が隠されているのではないでしょうか?
自分自身との真の調和が、世界を変えていくんだと私は信じています。
陰陽の調和を象徴する6月9日満月の特別な一日
6・9 闇を光に~満月の伊賀ツアー~
この地を愛で神話を読みとく神力車祥平さん
そして神と人を繋ぐERIさんとのコラボでご案内いたします。
残席2名となりました。
歴史の闇を受け入れることは、自分自身の全てを受けいれること。
『全てが愛だった』という世界で生きたい方、お待ちしています。
今日はこのお話を書いてみたいと思います。
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コノハナサクヤヒメ

静岡県の方なら知っている方も多いと思いますが、富士山の噴火を鎮めるためお祀りされているコノハナノサクヤヒメは水の女神さまのことです。
アマテラスオオミカミの孫、つまり天孫と呼ばれるニニギノミコトが地上に降り立ったとき、コノハナサクヤヒメと出逢いその美しさに惹かれて求婚します。
コノハナサクヤヒメの父オオヤマツミはそれを喜びますが、なぜか姉のイワナガヒメと共に嫁がせました。
ニニギはイワナガヒメの醜さを嫌い、姉だけをオオヤマツミの元へ送り返してしまいます。
オオヤマツミはそれを怒り、その結果、天孫の子孫である私たち人間は花のように寿命が短くなってしまった・・・
コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの姉妹は、一般にはこんな風に解釈されています。
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あるとき、こんなお話を聞きました。
イワナガヒメとコノハナサクヤヒメは表裏一体。実は地球のことなのだ、と。
天孫であるニニギノミコトと、地(球)が結ばれることがこの結婚が意味することだったんです。
地球の内部は岩でできています。これがイワナガヒメ。
それに対して地表は緑と水に覆われ、花が咲き鳥が歌います。これがコノハナサクヤヒメ。
イワナガヒメは姉です。つまり岩が先で、花はその後に生まれるのですよね。
イワナガヒメは醜いのではないんです。地表からは「見えにくい」→「見にくい」ということなのだって。

それでは岩ってなんでしょうか。
私はこれを「意和」「異和」だと読みときました。
そもそも地球が意味するものは地(じ)の球(魂)。自分自身の魂のことなんじゃないかって感じたんです。
私たちは「こうあるべき」「これは許されない」「これは良い」「これは悪い」という二元論の世界で生きています。
これは「醜いと感じるものを排除する生き方」「ありのままの自分を許せない、受け入れていない状態」だと思うんですね。
ニニギノミコトがコノハナサクヤヒメだけを選んだことと同じです。
オオヤマツミがそれを怒ったというのは、魂の中には陰も陽もないんだ。全て同じ愛(I=私)なのだという意味。
異(ことなるもの)を和(調和)する。どちらも愛から生まれているという事実を受け入れること。
それによって私たちは本当の輝きを放つようになる。
その輝きの象徴がコノハナサクヤヒメなんじゃないかなぁ?
富士山のもとの表記は「不二」だったと言います。
ここからも「二つではない」つまり「全ては一つ」という事をあらわしているのではないでしょうか。
「全てはひとつ」がこの日本という国の象徴なのですよね・・・

この神話には、そんな想いが込められているんじゃないかなぁって私は思うんです。
ありのままの私(I)を全て受け入れることで、この地上は花でいっぱいになる。
それこそが本当の天地が結ばれることなんだって。
天地が結ばれるというのは自分自身の魂が、神と結ばれること。
神は外の世界にあるのではなく、自分自身の中に既にあるということを思い出すこと。
排除すべき闇があるのではなく、「調和」というプロセスを経験したいがために用意された舞台がこの地球という星。
私たちはその舞台で魂の結び・・・私たちは既に1人1人が神であり愛だったということを思い出すゲームをしに天から降りてきた天子。

それに氣がついた人たちが今、次々に現れている。
だからこの星が花でいっぱいになるんだって思ったんです。
陰と陽の調和。見にくいものの中にこそ、私たちの花開く力が隠されているのではないでしょうか?
自分自身との真の調和が、世界を変えていくんだと私は信じています。
陰陽の調和を象徴する6月9日満月の特別な一日
6・9 闇を光に~満月の伊賀ツアー~
この地を愛で神話を読みとく神力車祥平さん
そして神と人を繋ぐERIさんとのコラボでご案内いたします。
残席2名となりました。
歴史の闇を受け入れることは、自分自身の全てを受けいれること。
『全てが愛だった』という世界で生きたい方、お待ちしています。
【申し込み方法】
cocotime☆mbr.nifty.com 伊藤まで
(☆を@に変更して送ってください)
「6月9日伊賀ツアー申し込み」の件名でメールをお願いします。
折り返しお振込み口座などをご連絡いたします。
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